ええいままよ

なんとか生きてる

瑛子、大学やめたいってよ。

大丈夫です。生きてます、瑛子です。


無事大学に通っております。ブログを書く余裕もなく、毎日バタバタジタバタしてました。はい。



今日は講義をサボろう、と決めたので久しぶりにだらだらとパジャマ姿でベッドの上に寝っころがってブログを書いてます。ドンドンパフパフ。


日常のこととか本や映画のこととか、書きたいことはたくさんあるのですが、ありすぎてすごく散漫な文章になっちゃいそうで、自信がないので日記に書いてまとめてからこちらに書こうかなと思います。




では今日は、なぜわたしが今日講義をサボるのかについてお話しようと思います。主に過去の話だから暗いし長いし、よく脱線します。





わたしは中学三年生のとき、タイツを履いていた、ということがきっかけでいじめられていた。(「は?」と思ったあなた、田舎の人はヒマなのでこういうくだらないことにこだわるのです)



いじめは最初は軽いもので、数人の女たちだけによるものだったけど、挙動不審になったりビクついたりするわたしの反応を面白がる人が増えて、男も加わるようになり、だんだんとひどくなっていった。


その頃から体調がだんだんおかしくなっていって、お腹が張っておならが出たり、下したり、ひどい便秘になったりしていた。過敏性腸症候群という病気だった。これが原因で余計ひどくいじめられるようになった。


精神的にも参ってしまって、挙動不審になったり、鞄や部屋のなかに盗聴機やカメラがないか毎日確かめたり、自分が友達にあげたお菓子に毒が入っていたらどうしよう、とか変な被害妄想をしてしまったりしてた。



そして、人目が気になるようになった。他人から見られるのも、自分が他人を見るのもムリになった。自分の視線のコントロールができなくなった。


隣の席の人を意識するようになった。こんなことは生まれて初めてだった。その人が動く度にビクっとなったり、視線送ってしまったりした。そんななので黒板が見れなくて、ずっと横の髪で顔を隠すように下を向いていた。


廊下を歩くときも、集会で列に並んでいるときも、給食を食べているときもずっと下を向いていた。
そんなわたしをクラスの人々は気味悪がって笑い、からかい、わたしの視線恐怖はますますひどくなっていった。


高校受験がもうすぐだというのに精神的にも肉体的にもボロボロだったわたしだったけど、このことは誰にも相談できなかった。友達はいた。いじめられてることは絶対気づいてるだろうに、一緒にいてくれた。でもいじめのことも、体調のことも話せなかった。恥だと思ってたから。


ある日「もう限界だ」と思って、泣きながら母親にいじめられていることを話した。なぜいじめられたのか、どんなことをされているのかということ、体調や視線がおかしいことは話さなかった。というより話せなかった。こんな恥ずかしいくだらないことで悩んでいるのを知られたくなかった。


翌日学校へ行って教室に入ると、数人の女子がこちらを見てひそひそと話をしていた。「教頭がー」「電話ー」「卑怯者」とか断片的に聞こえて、母親が学校に電話したのだ、ということを悟った。教頭はいつも電話番をしていて、顧問じゃないけど部活でも関わりがあった。昨日誰にも言わないで、と何度も頼んで念押ししたのに。


このときから母親のことを信用するのをやめた。


受験シーズンに入るといじめも無くなっていって、わたしは無事第一志望の自称進学校に受かった。いじめを主導していた二人の男も一緒だったけど、高校に行ったら関心がなくなるだろう、と思って楽観視していた。


新しい生活が始まって、何もかもが変われると信じていた。



けれどそんなことはなかった。中学のころのわたしの話を主導の男がすぐに広めて(主に男に)いたし、過敏性腸症候群も視線恐怖もそのまま、むしろひどくなっていて、高校でもいじめられるようになった。男からも女からも。


いじめといっても、中学のときのクラスのほぼ全員からクラス全員の前で みたいな派手なものでなくて、あだ名をつけられたり、目の前や近くで悪口を言われたり笑われたり、英語の授業などで隣の人と二人ペアを組んで活動するときに無視されたり、わざと話しかけて意味の分からないことを言ってきたり、わざと咳払いしてわたしがビクっとなるのを数人で笑ったり、みたいな感じだった。


ある日の朝、中学が同じ友達と一緒に登校してきて、廊下を歩いていて、その子の教室の前でバイバイして、その笑顔のままで歩き出したら、すぐそばにあった階段から男が二人上がってきて、わたしの顔を見て「キモっ」と言って通りすぎていって、その人とは一度も話したこともない、目が合ったこともない人で、その言葉は笑顔も友達と話してて楽しかった気持ちも一瞬で潰してしまって、わたしはこわばった肩と顔で教室に入った。


そういうのの積み重ねで、とうとうわたしは不登校になった。高校二年の一月だった。半年くらい学校に行かなかった。ラインも連絡帳も消して、メールアドレスも変えた。友達がたまに家に来てくれていたようだけど、誰とも会わなかった。


この頃くらいからだったか、強迫性障害になったり、男の人がこわくなったりした。父親も無理になった。目が合わせられなくなったし、男の人を見たり声を聞いたり話したりすると緊張して体がこわばったりした。特に同年代の人がこわくて、会わないように平日の昼間などに出掛けるようにしていた。


眠れなくなってしまったので、母が高校の保健の先生から紹介してもらったという病院に行くようになった。病院の先生から「あなたのお母さんちょっとおかしいよなあ」と言われた。


これ以上休むと卒業できなくなる、と学校から言われた 学校に行ってくれ、と泣きながら母親にお願いされ六月ごろから別室登校することになった。


なんとか卒業できたけど、余裕がなくて受験なんてひとつもしてなかったし、わたしは浪人することになった。


予備校に通うのは無理だと分かってたから、宅浪しようかなあなどと考えていたとき、友人Y(真木よう子にちょっと似てる)が家に訪ねてきてくれた。まあ会わなかったんだけど、そのときメールアドレスを置いてってくれたのでそこに「お久しぶりです、お元気ですか」とメールしたら「よかった もう連絡とれないと思ってた」と返ってきて、そこから何度かやりとりをして直接会うことになった。


そのときにYの行ってた塾をおすすめされて、そこに通うことにした。塾長はたいへん変わった人で仙人みたいだった。教室は煙草臭くてイヤだった。


まったくやる気のなかったわたしはぜんぜん勉強していなくて、塾にもあまり通わなかったし、模試も二度しか受けなかった。毎日本を読んだり映画を観たりして過ごした。


だから今年試験を三回受けたけど(センター込み)、全部落ちてしまった。アホだ。それで今通ってるこの大学に入学して編入を目指している。


この大学は男の割合が多い。入学してから知った。でももう大丈夫だと思ってた。浪人してたとき視線恐怖はほとんどなくなってたし、今のわたしは少なくとも昔のわたしより綺麗になってて、そんなダサダサな格好をしてないはずだし、見た目を笑われることは多分ないはずで、だってここにいる人たちはわたしの過去やどんな人かなんてまったく知らないのだから。堂々と自然体でいればいい。誰もこんな地味な女になど興味ない。


でもやっぱりだめだった、こわい。隣に座ってると意識してしまうし、視界に入らないようにするため下向いてるけど、逆に気になるだろうし。ゼミとかのグループで話すときも顔を見て話せなくて、失礼な奴、おかしい奴だと思われてそうでこわい。声や咳払いを聞くだけでギクッとなるし、なんかもうどうしたらいいのか分かんない。


昨日男の人たちがこちらを見てなにか話していて、気持ち悪い という言葉が聞こえて、いじめられてたときからこういう勘はするどいのだけど、あっ私のことだ って分かってすごく落ち込んだ。現在進行形で落ち込んでる。



また中学や高校のときと同じようになるのかな、とか考えてたら大学に行きたくなくなっちゃって、バイトが忙しくて部屋は掃除してないし、ゴミも適当にその辺に置いてるからぐちゃぐちゃだし、洗濯物はたまってるし、買い物に行ってなくて食べるものなくて、だから今日は講義をサボってこれらのことを片付けて、さっぱりして、本読んで映画みて、よく寝て、明日はカウンセリング受けにいこう。


男の人がこわいということを友達に相談してみようかな、いきなりそんなこと言われたら困りますかね。どうしようかな。



最近はそんな感じです。あっ、そういえば友達ができました!できないと思ってたのに!うれしい!!それからカフェでバイトを始めました。まかないがおいしくて幸せです。


とりあえずごはんつくろうかな、お腹すいた。




補足・中学のときは自分のこの症状に名前があって病気だということは知らなくて、高校に入ってから知りました。親や友達には高校二年のときに思いきって打ち明けました。過敏性腸症候群に関してはもうすっかり治ってます。

病気のことに関してはもっと詳しく書きたいので後日また書きます。